ハクビシンは江戸時代から存在していた?

ハクビシンは江戸時代から存在していた?

ハクビシン(白鼻芯)は中国で食用にされることがありますが、日本では主に毛皮用に狩猟されてきました。

戦後になってから日本全国で個体数が急激に増加して農作物に被害を受けるケースが増えていることから、中国などから輸入された外来種であると考えられていました。

ところが太平洋戦争中に静岡県浜名郡で狩猟が行われた記録があり、昔から国内で生息していた可能性が高いと考えられるようになりました。

江戸時代の文献にも、ハクビシンとよく似た特徴を持つ生物が記録されています。

ハクビシンが江戸時代以前から既に日本に生息していた在来種の可能性があると言われるようになった根拠や理由をご紹介します。

1940年代には確認されていた

1940年代に確認されたハクビシン

ハクビシンは農作物を食い荒らす害獣として知られていて、鳥獣保護法の「狩猟獣」に指定されています。

日本全国でハクビシンによる食害が問題化したのは戦後の高度成長期なので、毛皮用に中国などから輸入された個体が日本に定着した外来種と思われることがあります。

実は戦争中(第2次世界大戦)に既に日本国内で野生のハクビシンの存在が確認されており、1943年(昭和18年)に静岡県内で野生化した個体が発見されました。
記録によると1943年12月に静岡県浜名郡知波田村(現在の湖北町)において、静岡県の職員(林政課)であった森志郎氏らにより生きた状態で捕獲されました。

ちなみに現在も、静岡県庁の庁舎内にこの時に捕獲されたハクビシンの毛皮が保管されています。これ以後、浜名郡周辺で野生のハクビシンは確認されていません。
太平洋戦争後は島田市・藤枝市・焼津市などで確認され、これらの地域で野生のハクビシンが繁殖をしていると考えられます。

ちなみに静岡県はミカンの産地で有名で、多くのミカン畑があります。ミカン畑が多い地域に野生のハクビシンが発見されるケースが多いようです。静岡県内では現在でも多くの食害が報告されています。

1943年に野生で生きた状態で捕獲された記録が存在することから、戦後に海外から輸入されて国内で定着したという説は誤りであるといえます。

このため日本国内で確認されている野生のハクビシンは戦前に海外から持ち込まれて定着したか、古来より日本に定着していた在来生物である可能性が高いと考えられています。

江戸時代から存在していたとされる説も

江戸時代から存在していたとされる説も

日本では戦前から野生のハクビシンが確認されていますが、古代の遺跡から骨が発掘された記録がありません。
このことから、古代の日本にはハクビシンが存在しなかったと考えられています。ハクビシンは東南アジアや南アジアに多く生息することから、過去に外国から日本に持ち込まれて定着した可能性が指摘されています。

実際に遺伝子(ミトコンドリアDNA)を調べた結果、東南アジア産と日本に生息する個体は遺伝的な違いがあります。

明治時代以降に東南アジアなどから日本に持ち込まれて繁殖をした可能性も考えられますが、遺伝子型を見る限りは江戸時代以前から日本国内に存在していた可能性も考えられます。
江戸時代の日本ではハクビシンと呼ばれる生物は存在しないのですが、別の名前で既に当時の人々の間で存在が認識されていた可能性は否定できません。

日本各地に古来から伝わる民話や伝説があり、特に狸・犬・オオカミ・猫・ネズミ・鶴・亀・サル・鹿・獺(カワウソ)などの動物が登場するものがたくさんあります。

民話でモデルとなった動物が判明しているケースがありますが、中にはツチノコや河童などのような架空の生物・妖怪なども存在します。民話に登場する架空の生き物や妖怪の多くは、モデルとなった動物が存在します。

民話の中に登場する妖怪や架空の動物の中で、モデルとなった動物が判明していない生物としてハクビシンが含まれる可能性を指摘する研究者がいます。

現代の日本人が国内に生息する野生のハクビシンを確認したのは戦争中ですが、江戸時代以前の日本には既にハクビシンが生息していたという説が存在します。

雷雲から落ちてきた魔獣=ハクビシン?

雷雲から落ちてきた魔獣=ハクビシン?

日本各地には妖怪や化け物が登場する民話や伝説がたくさんありますが、大きさや特徴の点でハクビシンと非常によく似た妖怪の話が存在します。

主に東日本を中心にして伝わる伝説では、落雷の際に雷雲から落ちてきた「雷獣」という魔獣(妖怪)が登場します。落雷が起こると地上で雷が魔獣の姿に変化し、人間に対して危害を加えるという迷信があります。

伝説の中の雷獣は妖怪の一種として描かれてはいますが、体のサイズ・特徴や食物などが具体的かつ詳細に記録されています。そのため、当時に日本国内に生息していた野生動物がモデルとして描かれていた可能性が考えられます。

雷獣の特徴ですが、体長は2尺前後で胴体が子犬や狸とよく似ているとあります。江戸時代でも狸・犬・キツネ・獺・イタチなどの存在が知られていたので、雷獣はこれらの生物ではありません。
雷獣の尻尾の長さは7、8寸で、鋭い爪を持つ動物であるとされています。江戸時代の1尺は約30cmで1寸は約3cmなので、体長は約60cmで尻尾の長さは21~24cmとなります。
ハクビシンのサイズは体長が51~76cm程度で狸と同じような形・大きさの胴体であり、雷獣とよく似ています。

鋭い爪を持っている点でも雷獣とハクビシンに共通点があります。猫も鋭い爪を持っていますが、普段は肉球の中に爪を引っ込めています。

江戸時代の国学者・山岡浚明の事典「類聚名物考」には、江戸の和泉屋吉五郎という人が鉄網の駕籠で雷獣を飼育していたという記録があります。

鼻先はイノシシによく似ており、ヘビ・ケラ・蛙・クモを食べていたと記述されています。鼻の特徴や昆虫・蛙などを食べていた点でも、ハクビシンとの共通点が見られます。

綱渡りをするたぬき=ハクビシン?

綱渡りをするたぬき=ハクビシン?

別の地域では、ハクビシンとよく似た狸の民話というものも存在します。
「分福茶釜」という話には狸が登場しますが、この狸は見世物小屋で綱渡りをするというものです。

この話は仲間と化けくらべを競い合っていた狸が茶釜の姿に変身しました。茶釜の姿になった狸は元の姿に戻れなくなってしまい、茶釜として古道具屋の手に渡ります。古道具屋が自分で食べるつもりで置いておいた鯛を茶釜に変身した狸が食べてしまい、古道具屋は狸であることを知ります。哀れに思った古道具屋は元の姿に戻れるまでの間、茶釜に化けて元に戻れなくなった狸を泊めてやることにしました。

狸は古道具屋への恩返しのために見世物小屋を開いて綱渡りの芸を披露することを提案し、「綱渡りをする茶釜(狸)」のおかげで豊かになることができたというものです。

狸の体つきは犬とよく似ており、猫のように器用に細い木の枝や塀の上を歩くことはできません。猫は既に知られていたことから、「綱渡りをする茶釜(狸)」のモデルになった動物は狸や猫ではありません。狸とよく似た姿で猫のように器用に木の枝を移動することができる動物に、ハクビシンがいます。

ハクビシンは狸よりも体が小さくて器用なので、木の枝や幹を自由に歩き回って果実や昆虫などを捕まえて食べることができます。
この分福茶釜の話は、江戸時代の赤本や絵本に登場します。

分福茶釜の中の「綱渡りをする茶釜(狸)」がハクビシンであるとすれば、江戸時代には日本に生息をしていたことが考えられます。

まとめ

ハクビシンによる食害は昭和の高度成長期以降に問題になったことから、戦後になってから毛皮用に日本に持ち込まれて野生化した外来種であると思われがちです。

戦時中に捕獲された記録が存在することから、戦後になって持ち込まれたものではない可能性が考えられます。

江戸時代の民話や伝説・迷信にはハクビシンとよく似た姿・特徴の魔獣(妖怪)が登場することから、江戸時代の日本には既に定着していた可能性があります。

日本国内に生息するハクビシンは戦後に毛皮のために海外から来た外来生物ではなく、昔から生息していたと考えられています。